2021年09月19日

ゲノム編集の新時代

 メデイアの報道によると、ゲノム編集されたトマトやマダイが食卓に上る日がまもなくやってきます。ゲノム編集は生物の遺伝子の一部を変異させることで、目的とする性質を獲得する技術です。今までの品種改良は、自然界で起こる突然変異を利用して何世代にも渡る交配・交雑を繰り返し達成されてきました。そのため良い品種を作るまでには多くの時間がかかりました。

 そこで、人為的にDNAを変異させる方法として、放射線や化学物質が用いられました。しかし、この手法は予め目的とした変異体をすぐに得られるものではなく、複数の変異体群から目的の変異の入った個体を選抜し、さらに通常の個体との間に戻り交配を行い、不要な変異を取り除く作業が必要でした。次に選ばれたのがトランスポゾンと呼ばれる転移因子で、ゲノム内を転移する性質を利用して改変したい遺伝子に入り込ませて遺伝子を分断させ、タンパク質を合成できなくさせます。しかしこの手法は飼育や栽培の容易である、酵母、メダカ、ショウジョウバエなど特定の生物種でしか使えませんでした。

 このような状況から、新たな技術が開発されました。遺伝子の改変にはDNA切断が引き金になっていることから、ゲノム中の狙った部位のDNA切断ができれば良いと考えられました。そこで注目されたのが制限酵素です。人類がコロナウイルスの脅威から逃れようと努力するように、実は細菌もウイルスから身を守る手段を進化させてきました。細菌は侵入してきたウイルスのDNAを分解する酵素を有し、ウイルスのDNAを切断・不活性化し、さらに断片化したDNAを細菌ゲノムに取り込み、ウイルスの再侵入があれば撃退できるような対策までしてます。この制限酵素の性質の利用法を大腸菌を例に説明します。大腸菌のDNAの中に増やしたい生物種のDNAを挿入するには、まず制限酵素で大腸菌と他生物の各々のDNAを切断し、のりづけ酵素で切り取った他生物のDNAの一部を大腸菌DNAに連結します。この組換えDNAを大腸菌に戻すと、大腸菌は自分のDNAとして複製を行い、その結果短時間で大量の連結体を作成できます。この技術を分子クローニングと呼び、それに利用可能な制限酵素は300種以上見つかっていますが、多くはごく短いDNA(4〜6塩基対)しか切断できません。これは、DNA中に一致する塩基配列が多いため、ゲノムDNAが各所で切断されバラバラになってしまうことを意味します。従って細胞内では操作できず、基本的に試験管内で行われる技術といえます。

 では、長い塩基配列を切断できる制限酵素を作れば良いだろうと考え、1990年代より開発が進められてきました。制限酵素にはDNAの塩基配列を認識・結合するドメインとDNAを切断するドメインがありますが、二つのドメインは融合しているので認識配列内でしか切断できませんでした。ところが新しい人工制限酵素では、DAN切断ドメインの単離に成功し、そこにジンクフィンガーというDNAに結合する性質をもつタンパク質を結びつけました。これが1996の発表されたジンクフィンガー・ヌクレアーぜ(ZFN)と呼ばれる第一世代のゲノム編集ツールです。ZFNはペアで標的箇所のDNA二本鎖を切断する仕組みですが、ジンクフィンガー1個で3塩基を認識・結合できるので3個用いれば9塩基、さらにペアなので18塩基の部分が編集可能となります。しかし編集は制限なしに出来るわけではなく、作成に時間もかかりました。次に、認識・結合ドメインに植物病原細菌のもつテールタンパク質を用いたテールヌクレアーゼ(TALEN)が2010年に現れました。ターレンはZFNに比べて作成し易く、30塩基程の幅広い認識特異性をもち精度が高いという利点がありました。

 そして、DNAへの認識・結合にタンパク質ではなく短いRNAを用いたクリスパー・キャス9が2012年に登場しました。これも細菌の獲得免疫機構を利用したシステムで、RNAが標的となる塩基配列を探し出して、キャス9と呼ばれる酵素がDNA二本鎖を切断するのです。このRNAをガイドRNA(gRNA)と呼びます。細菌ゲノム中のクリスパー遺伝子座にはDNA二本鎖の対をなす塩基配列が、ある方向と逆方向とで一致する回文配列を示す特徴があります。こうした回文配列とスペーサーと呼ばれる配列が交互に繰り返されるのが、この遺伝子座の構造です。大腸菌の例に出したように、このスペーサーは感染によりウイルスのDNA断片を取り込むと、再感染した場合にウイルスDNAを切断するRNAを作ることができるのです。クリスパー・キャス9はこのクリスパー遺伝子座の機能に着目した技術です。クリスパー・キャス9はさまざまな生物における全ての遺伝子についてDNA二本鎖切断を導入することを可能とし、すでにゲノム編集の基本ツールになっています。RNAはタンパク質と比べてはるかに簡単に作成でき、効率的で低コストであるため、あらゆる産業分野に応用されていくと予想されています。この生物の遺伝子を自由に書き換えられる技術を開発した、フランス出身ドイツ在住のシャルパンティエ博士とアメリカのダナウド博士は2020年のノーベル化学賞を受賞しました。

 ゲノム編集の産業分野への応用の一つとして、作物や果物の品種改良、養殖魚や家畜の改良、低アレルギー食品の開発などがあげられます。今回のトマトは、血圧を下げるGABAというアミノ酸を多く含むもので、ゲノム編集によりGABA合成を抑制する遺伝子の一部の働きを止めています。マダイについては、受精卵の段階で筋肉細胞の成長を抑える働きを止めることで、通常の1.2倍の身の量を得ています。いずれも、外部から遺伝子を組み込んではいないので、厚労省に届けを出し受理されれば、流通・販売されていきます。正直、食べるには不気味な気がしますが、正しい知識を持つことを前提にして、多くの人がゲノム編集食品に関心を寄せ話題にし、安全性を監視する必要があると思います。危険を感じながらも流れに身をまかせ、何となく順応するのは下策ですし、逆にリスク0以外は認めないという態度では進歩に取り残されるばかりでしょう。ことはゲノム編集食品の安全性だけではなく、環境への影響、医療とりわけ生殖医療に対するゲノム編集の適用には高度な倫理的判断が求められます。このようにイノベーションにより大きく変わっていく現実に対して、私たちはいつも何かを感じ取る姿勢を持つべきでしょう。
posted by ナカバヤシジビカ at 22:38| Comment(0) | 新着情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする