2018年09月14日

Child abuse〜負のスパイラルへ

近年、子供の生育環境はゆったりとした希望のあるものから、窮屈で光のささないものへと急速に変化しているのではないでしょうか。ネットやメディアでは教育現場でのいじめ、若い夫婦による幼児虐待の話題が途切れることがないように思われます。先日、仙台市内で子供の虐待対応の第一線で活躍されている先生の講演を聞きました。

虐待には定義があり、1)子供の人権侵害である、2)強者が弱者を力で一方的に支配する構造である、としています。親(保護者)が躾であるとか、自分もそのように育ったからと理由づけしても、暴力で傷つけられるのが当然という子供はいないと断言しています。子供は愛する信頼している親から常習的な虐待を受けていても、「本当は私のことを大好きだから殴るんだ」と自分に言い聞かせます。そう思わずにはいられない、追い詰められた心のただ一つの逃げ道だからです。言葉による虐待も重大で、「お前なんか産むんじゃなかった」「お前は川から拾ってきた」などと残酷な言葉を浴びせられます。幼児ならそのまま信じますので、「僕はいない方が良いんだ」という自己肯定感のない子供へと成長していきます。ネグレクトも深刻な事態を招きます。親は育児を放棄し自分中心の生活を始め、その後本当に子供のことを忘れ家にも帰らなくなり、食事など最低限の世話もしません。その結果、警察が部屋に入った時にはゴミの中に餓死した妹が埋もれ、その隣に死を待つ兄が横たわっていたという事件もありました。ネグレクトをした親は事件後でさえも反省や後悔などの感情に欠けているそうです。

暴力を受けた幼児には体に特徴的な跡が残り、専門家が見ると単なる怪我ではないことが分かります。これをパターン痕と呼び、1)手のひらの跡、2)つねった跡、3)耳を引っ張られることによる耳介の皮下出血、4)棒状の道具で叩くことによる二重線状痕、5)火の点いたタバコによるタバコ痕、6)持ち上げて熱湯につけられたことによる皮膚熱傷の線状の境界、などがあります。これらのリアルな証拠写真の数々に圧倒され、会場はシンと静まり返りました。提示された症例はいずれも典型例でありますが、これを見せられても「確かに悲惨だが自分とは関わりない」という反応が一般的ではないでしょうか。しかし、虐待予備軍というべき家族は多く、社会が関心を高め抑止力を発揮しないと全体的に良くない方向へ進むと考えられます。

講師の先生は指摘していました。親が子供を病院へ連れてくれば、医療の介入を糸口に虐待対策のチームが発動し、包括的かつ持続的にケアするシステムが出来ているので、専門家受診ところまでの過程で医師をはじめ、周囲の普通の人々の「気付き」が大切になります。
posted by ナカバヤシジビカ at 09:51| Comment(0) | 新着情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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